素人的リサイタル感想:ファジル・サイその2

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素人的リサイタル感想:ファジル・サイその2

リサイタルのパンフがマジシャンの様だと思っていたら、当日の衣装もベルベットのチャイナジャケットで、今にも袖から鳩が出てきそう。鳩は出なかったけど、ピアノから自由自在に様々な音を取り出すサイはまさに魔術師。

見て楽しく、聞いて美しいリサイタルに初心者もオタクな人も楽しめました。毎度長い割にはうまく表現できませんが、感想の続きはこちら。

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指揮者のように全身を使って演奏しているサイに、ピアノは一つのオーケストラだという言葉を思い出します。パッサカリアでは右手でピアノを弾きながら左手で音を掴むような、なにかを招くような動きを見せていました。2曲目と3曲目のバッハは暗譜だったせいか自由度が増し、体の姿勢も更に柔軟に。まるで舞台の床に楽譜がおいてあるかの様に、正面下を覗き込む。首を水平90度、垂直45度に曲げた姿勢から真正面を向いたりのけぞったり、それでいて激早スピードで指が回るのは信じられません。シャコンヌはあまりに速くて、なんの曲か分からなくなりそうでしたが、コントロールされていて置いて行かれる不安感はありません。

グールドと良く比較されるサイですが、淡々としたグールドのフランス組曲と比べるとサイのそれは即興的で暖かく、聴衆を意識したエンターテーナーという印象。それぞれの曲にドラマチックな味をつけて、ロマンチックなまでエモーショナルに聴かせるバッハは初めてでした。

キラキラ星は鬼速だったり、小さ意音を細かく拾ったり、いろんな音がこぼれ出て、大小の星が飛び交う満点の星空。自分も三日月の様にイスの上でCの字になり、つま先立ちでペダルを踏む。いすから落ちそうに体を揺らしながらも、いかにも楽しそうな表情で弾く様子に、こちらも子供に戻って、シンプルなメロディが色鮮やかに変奏されるのをぽかんとしながら聴くしかありません。トルコのアマデウスは目隠しても平気で弾けるんでしょうね。(笑)

最後のピアノソナタでは聞き込みの予習が不足して曲のイメージが固まっていないせいもあり今までの曲のように手に汗を握ることはなく、リラックスして聴けました。お隣のコンサート常連という感じのご夫婦のうちご主人が「モーツアルトは疲れたな」と言うと奥様が「あら、バッハの方が疲れたわよ」との会話。みんなも多少緊張しながら聞いていたのかとほっとしつつ、自分はリラックスできたモーツアルトより、バッハにはまる予感。

アンコールの最初は本場モノのトルコ行進曲。(笑)民族音楽のような音色に、衣装を付けたマングースが今にも出てきそうな(毎度のネタです)勢いでした。次のアンコールではまたトルコ行進曲?と思わせてジャズアレンジの曲。お客さんもノリノリで、会場を埋め尽くした紅葉マーク(プラス若葉マークが若干)がすべて深緑に変わったような楽しい雰囲気で聞けました。

拍手をしながら、もう終わりかと思ったら、ゆっくりなリズムでサマータイム。先ほどまでの瑞々しい雰囲気が一転、スモーキーなバーのなか、ボロのアップライトでジャズを弾く老黒人ミュージシャンの様なジャジーな気分にがらりと変わりました。
最後のブラックアースでは右手で弾きながら左手をピアノの中につっこんでビヨンビヨン言わせて度肝を抜かれました。初めて聞く曲ですが、クラシックな文法を守っているため良い意味で予測がつき、現代音楽にありがちな迷子感はなく、安心して聴けました。

多様な4曲のアンコールでもう一つミニコンサートを聴いた気分になりました。弾いているときは百面相のサイが拍手を受けるときは深々とお辞儀をして、はにかんだように聴衆の顔を見ないというコントラストがまた楽しかったです。

アンコールの曲
モーツアルト      トルコ行進曲
ジャズアレンジ即興つき トルコ行進曲
ジャズアレンジ     サマータイム
ファジル・サイ作曲   ブラック・アース

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